まさかこういう形で実現するとは、夢にも思わず――





+うららか+





下を向き、うかつに顔を上げることもできずに、テーブルに置かれたお冷を見つめていた。

一体。

何から話せばいいのだろう。

話し出すきっかけを容易には見つけだせず、思わず縋るように隣に座る東方を見てしまう。

覚悟はしていたというのに、実際に会えばこの有様。

全く情けなくて仕方がない。

膝の上に手を置いて座る東方は、その手をテーブルの下でひらひらと振ってみせる。

大丈夫だよ、というその合図に俺はゆっくり深呼吸をする。

そう、俺は一人じゃない。

隣には東方がいるじゃないか。

そう決心をして、俺は勢いよく顔を上げた。


「・・は、はじめまして」


言葉にできたのは至って普通でありきたりなそんな台詞だったが、

それ以外の言葉なんて今の自分に見つけられるはずもなかった。


「は、はじめまして・・」


返ってきたのは同じように少し緊張した声音だった。

お互いに挨拶をしたはいいのだけれどもそれ以上の言葉など見つからず、

間抜けにも数秒見つめあってしまう羽目になった。

けれどそれから先に進む手段は真っ白な頭では思い浮かばず、

そんな状況を救うべく手を差し延べてくれたのはやっぱり東方だった。

彼の言葉にほっと安堵の溜息を漏らす。


「こんにちは、東方です」


東方が名を言うのを聞いて、俺も慌てて名を告げた。


「南です」


ぺこりと一つ頭を下げれば、目の前にいた彼も慌てて頭を下げた。


「河村といいます」


話には聞いていたのだが、彼は随分と好青年のようだ。

まるで中学生男子とは思えないような丁寧な対応をされ、ただ呆気に取られてしまう

(大概にして自分たちもよく中学生らしくはないと言われるがそれは置いておくことにする)

河村の隣に座る俺達の友人とは似ても似つかないような人物なのだと、

またそれはそれでお互いのバランスが取れていいじゃないかと密かに思った。

河村の人柄を垣間見て、少し安堵をした俺は話を続けた。


「河村は青学なんだよな?」


自分たちは一度戦っているのだから相手のことを忘れるはずもなかったが、

やはりテニスの話から入るのが一番簡単だろうと話題を振る。


「はは、・・稲渡米くんと喜多くんには負けちゃったんだけどね」


すまなそうに答える河村に慌てて南は言葉を紡いだ。


「そんな・・!俺達も青学ゴールデンペアに負けたし・・」


言葉にしているうちにそのときのことを思い出して僅かに気持ちが下向き加減になってくる。

河村も同じように思ったらしく、下を向いたまま動かない。

話しやすい話題をしたつもりだったのにこの暗くなりようは予想外だ。

俺は次の言葉を発することができず、縋るように東方を見た。

しかし。


「変なとこで落ち込んでんじゃねぇよ」


助けてくれたのは意外にも今まで傍観を決め込んでいた亜久津だった。


「ご、ごめん」


珍しい亜久津の行動に僅かに目を瞠りながら、その行動を見守る。

見守る、というよりは驚いて何もできなかったというのが本音なのだが。


「お前も自分で振った話題でいちいち凹んでんじゃねぇよ」


「わ、悪い・・」


自分にまで飛んできた怒りの矛先にとても反省してみせながら、亜久津の顔を見る。

そこでふと俺はいつもと違うことに気がついた。

亜久津は怒ってみせている。

けれども普段と表情が全く違うのだ。

学校生活の中で亜久津は滅多に人と交わるようなことはしない。

会話を交わすとしても俺と東方や室町くらいなものなのだ。

それゆえに亜久津はあまり表情の変化を見せない。

わざと自分から他人と交わらないようにしているのかどうかは分からないが、

亜久津は他人の前で表情を変えることはほとんどしない。

なのに、今俺の目の前にいる亜久津はどうだろう。

まるで人に懐かない猫が親元にいるような、安堵の表情を見せている。

傍目には眉をしかめて仏頂面ないつもの亜久津に見えるかもしれないが、

普段見慣れている身としては、あまりの表情の変わりように驚くのだ。


河村と楽しげに話している亜久津を三秒程度見つめてしまってから、俺は思わず東方の手を叩いた。

すると東方も同じようなことを思っていたらしく、驚いている俺の顔を見て僅かに笑った。

そんな東方を見て、俺は思いっきり笑顔を零してみせた。


「なんか・・会ってよかったな」


俺がこっそり東方に言うと、東方もうんうん、と小さく二回頷いた。

いつもあまり他人と深く関ろうとしない友人が、こうして大切な人と幸せそうにしている姿を見るのは、

やっぱり自分たちもとても嬉しいのだ。


「・・二人で何笑ってやがんだ」


河村と話をしていた亜久津が、目の前で声を殺して笑う二人を見て、僅かに不機嫌な声をあげる。

しかしその声も俺と東方から見れば、照れ隠し以外の何物でもないことが分かるのだが。


「なんでもないよ」


亜久津にひらひらと手を振ってみせて、そして俺は突然ふと、ある言葉が頭の中に浮かぶ。

それを言ってよいものかどうか迷ったが、河村ならば受け止めてくれるだろうと、

俺は酷く真面目な顔をして、正面にいる河村に向き直った。

すると河村もそれを感じ取ったのか、俺の方を真っ直ぐに向いてみせる。





「亜久津のことよろしくお願いします」





俺が深々と頭を下げると、斜め前にいる亜久津が咳き込む声と、

東方が水を喉に詰まらせる音がした。

しかし俺はそんなことを気にせず、河村を見つめると、河村も酷く真面目な顔で頭を下げた。



「任せてください」



その言葉に満足をして河村の隣の亜久津を見れば、顔を手で覆い、下を向いてしまっている。

しかしその耳は僅かに赤く、怒っているのではないことが伺える。

珍しい亜久津の姿を見ることができた、と満足して東方を見れば、

やっぱりとても幸せそうに笑っていたから、俺も笑い返してやった。






二人との対面が終わり、東方と二人帰路につく。

あの後亜久津にこっぴどく怒られ(今考えると当たり前だ)、

でも河村が宥めてくれたおかげで南と東方に実害はなかった。

河村は流石に長い付き合いであるらしく、亜久津の扱い方を心得ているようだ。


――それでなくてはあの亜久津の恋人など務まらないだろうが。


「何だか嬉しそうだな、南」


僅かに浮かれたように歩く俺に気づいたのだろう東方がそんなことを聞いてくる。


「当たり前だろう、東方は嬉しくないのか?」


「俺も嬉しいよ」


笑顔でそう返されて、俺は頷いてみせる。


「やっぱり会ってよかったと思うな」


会わなければ分からないことも沢山あった。

いつも一人でいる亜久津の持っている幸せな時間や、ひととき。

学校にいるときは常に淋しげな空気を纏っている亜久津も、こんな幸せそうな表情を浮かべるのだと。

知ることができたのはやはり嬉しい。


「なんか・・」


俺はさっきまで共にいた二人を思い浮かべる。

あの二人は、二人でいることがとても自然に見えるような雰囲気を持っていた。

二人でいることの何処にも無理はないような、とても自然な空気を持っていたのだ。

だからこそ俺は二人を見る度に幸せな気分になれたのだ。


「いいよな、あの二人」


俺より背の高い東方を見上げて笑みを零せば、東方も笑顔を零しながら頷いた。


「そうだな」


そんな笑顔に満足をして、ふと思いついたのがこんな疑問。


「なぁ東方、

 ・・俺たちってどう思われたのかな?」


唐突にそう告げれば、東方は僅かに目を瞠った。

不安だ、とは言わないけれども、酷く幸せそうな二人の目に、

一体自分たちはどのように見えていたのだろうかと、気になる。

どう見えていたからといって気にするような問題ではないのだろうが、

それでもやっぱり傍から見れば自分たちは、あの二人のように見えていたのだろうか。

今度は東方を見上げず、真っ直ぐ前を向きながらそう問う。


すると東方は俺の頭にポンと手を置き、軽く撫でた。


「南・・」


伸ばされたのは東方の手で。

差し出された手を見つめて、それから東方に視線を合わせる。


「手、繋いで帰ろう」


唐突に口にされた言葉に俺は驚いて東方を見た。

けれども東方の何処にもからかうような雰囲気はなく、

ただ純粋に手を差し伸べているのだということを知り、俺は僅かに周りを見渡す。

閑静な住宅街、休みの日の夕方となれば道を歩いている人もほとんどいなかった。


「じゃあ、あそこの電柱まで」


そう返せば、東方は小さく笑った。


「そうだな」


伸ばされた手を僅かに握って、少し先の電柱まで歩く。

それはほんの少しの距離でしかなく。

自分であそこまで、と言ったのにも関らず、永遠にあの電柱までたどり着かなければいいと思った。


「・・なぁ、東方」


「ん?」


繋いだ手の先から流れ込むお互いの熱。

それだけで充分だと思った。



「俺たちも絶対、あの二人から、幸せそうだって思われてたに違いないぞ」



そう告げれば、繋いでいた東方の手から、かすかに笑う気配がした。