+恋愛感情に拠る日常的行動。 一つ、大きく深呼吸を繰り返す。 息を吸って、それを肺から吐き出す。 短いこの行為の間に、俺はこのまま時が止まってしまえばいいと思った。 俺は目の前のドアを見つめた。 それは俺の部屋のドアと何も変わりはないはずであるのに、 まるで俺を拒んでいるかのようにやけに大きく感じた。 しかしいつまでもこうしているわけにはいかない。 俺は心を決めて、兄貴の部屋のドアの取ってを、かちゃりと下に下げた。 朝、兄貴を起こしにいくのは俺の日課になっている。 あの兄貴は絶対に寝坊などするタイプではないのに。 いつもわざと起きてこない。 絶対に、わざとなのだ。 あの『天才』『完璧』不二周助が、 俺に起こされるまで起きられないなどあるはずがない。 朝起きるといつもリビングに兄貴の姿はなく、 そして母からこう言い渡されるのだ。 『裕太、お兄ちゃんを起こしてきて』 その母の声は、毎朝、死刑宣告のように聞こえるのだった。 そして今日も俺はこの扉を開けている。 別に起こすだけであったのならば何も害はない。 起きろ、と布団を剥がすだけでよいのだから。 しかし毎朝、俺は兄貴の部屋に行くと、起こすだけではすまなくなるのだ。 あの厚顔無恥な兄貴は、俺が起こしに行くたびに 『裕太が抱き締めてくれたら起きるよ』 だとか 『裕太がキスしてくれたら起きるよ』 だとか。 朝から随分な我侭を俺に突きつけてくれる。 いくら俺が嫌だと言おうとも、兄貴は全く譲ろうとしない。 そのまま無視をしてもよいのだけれども、 起こしていかなければ絶対に母や姉からもう一度指令が下るのは目に見えていて。 遅刻しないようにするためには、 兄貴をここで起こさなければならないというのが絶対条件であるのだ。 だからこそ、俺は兄貴の『お願い』を飲まざるを得ない。 今まで俺が兄貴のお願いを聞かなかったことなど、皆無だ。 さて、今日はどんな『お願い』をされるのだろうかと、ただ不安でいっぱいなのだ。 ドアを開けて、兄貴の部屋へと入る。 そうしてなるべくドアに近い場所から兄貴に呼びかける。 何かがあったときにすぐに逃げられるようにするためなのだが、 いつもそれは無駄な抵抗となってしまっている。 「おい、周助!朝だぞ!!」 少しだけ大きな声をかけると、兄貴は布団の中で僅かに身じろいだ。 「・・・ん」 いつも俺が来る前にはしっかりと起きているくせに、 兄貴はわざと『ずっと寝てました』というフリをする。 「今・・起きるから・・」 そう、兄貴は言った。 けれども一向にベッドの中から出てこようとはしない。 それも、いつものことだ。 「・・ったく」 時間がもったいないからと、俺は兄貴の傍に近づいていく。 こうしていつもいつも同じ行動をする兄貴も謎だが、 それが分かっていながらも同じ行動を取らざるを得ない俺が不思議でならなかった。 兄貴の布団を掴んで、僅かに捲る。 「おい・・!さっさと・・」 兄貴の傍に来て、俺は初めてその異変に気づいた。 「兄貴!?」 顔を覗き込むと、兄貴はずいぶんと赤い顔をしていた。 熱があるのだろう。 いつもより瞳も潤んでいる。 俺は慌てて兄貴の額に手で触れた。 するとそこはやはりすごい熱を持っていて。 俺は慌てて兄貴に呼びかけた。 「大丈夫か!兄貴・・」 俺が問うと、兄貴は微かに笑って返事を返した。 「大丈夫だよ、裕太・・。ごめん、心配かけちゃって・・」 大丈夫だと言っている割にはやはりつらいのであろう。 その声には随分と力がない。 「待ってろ、今母さんたち呼んでくるから・・」 俺が安心させるようにそう言って、部屋を出ようと兄貴の傍を離れたその時だった。 「待って!!裕太!!」 兄貴に、呼び止められた。 「何だ、兄貴・・」 一旦傍を離れたのだけれども再び兄貴の傍に行き、兄貴の言葉を待った。 「もう少しでいいから・・傍にいて」 告げられたのは意外な言葉で。 俺は思わず目を見開いた。 「ばっ・・!何言ってるんだよ!苦しいんだろ、兄貴! だったら早く母さんに来てもらったほうが・・」 「お願い・・お願いだから・・。あと1分でもいいから・・」 兄貴の潤んだ視線が俺に向けられる。 いつもよりも随分と弱々しいそれを見て、俺は僅かにため息をつく。 裕太の制服の裾を握り、必死で訴える兄貴の姿を見て。 いつもどおり。 折れてしまうのは俺の方だった。 「分かった・・分かったから!1分だけだぞ!」 「うん」 嬉しそうに笑う兄貴はずっと俺の制服を離さず。 1分と言っていた時間は、結局は5分に延びてしまっていた。 「いいかげんにしろよ」 「もうちょっとだけ・・」 苦しそうだけれどもどこか嬉しそうに笑う兄貴を見て。 病気だからしょうがないかと、俺は今日の遅刻を決定した。 「兄貴」 「何・・?」 こんなことを言っていいものかと迷ったが、 やはりほおっておくわけにはいかないから。 「なるべく早く帰ってくるからさ・・」 俺の言葉を聞いて、兄貴は本当に嬉しそうに笑った。 「うん!」 兄貴の笑顔を見て、俺も僅かに笑みを零した。 |